運営者情報
こんにちは、つくり手応援サポーター しん です。
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初めて作った「アルミの指輪」
山形から仙台に転入して19歳の時、本屋で一冊の本を手にしました。
「はじめての彫金(ちょうきん)・アクセサリー」という本です。
何気なく手にしたその本には、金槌や糸鋸などの写真と共に、
キラキラと輝くジュエリーや宝石が写っていました。
パラパラめくると、銀板を糸鋸で切って、バーナーで溶接し、石留めを行うジュエリーの製作方法が載っています。
大工だった父の影響で、小さいころからモノ作りが好きだった私は、
一瞬で心を奪われたのでした。
当時と言えば、電話回線を用いてインターネット接続していた時代。
ネットに情報はなく、本と電話と足で情報収集していました。
もちろん、仙台に彫金工具や銀板など売っている店はありません。
いちばん最初に作った作品は「アルミの指輪」です。
いつか仕事に
最初は趣味だった彫金を仕事にしたいと思ったのは、友人から指輪の制作を頼まれた時でした。
誰かのために作る事が誇らしく、
自分の作品でお金を貰えた事が、
何よりも嬉しかったのです。
21歳の当時、自宅の4畳半を工房とし、夜は飲食店で働き、
日中、製作活動を行い、路上やイベントで販売する日々が3年ほど続きました。
自分のお店を持つ
そんなある日、当時、中古レコード店を経営していた知人がお店の一角を貸してくれるという事になりました。
店舗スペースの半分を、家賃6万円で間借りする形で、お店を出す事になったのです。
お店では、当時作っていた作品の販売と、オーダーメイド受注を行い、
初年度の年商は300万円程度でした。
家賃が6万円ですから、1年で72万円、仕入原価を引くとかなり厳しい生活でしたが、
それ以上に、
自分のお店が持てた事がとても嬉しく、毎日、充実した日々を過ごしていました。
200万の借金
その後は、リピートしてくれる顧客も増え、また、1個数万円のオーダーメイドもそこそこ受注でき、なんとか切り盛りしていました。
そんなある日、知人が「経営不振で撤退する」と言い出したのです。
私は、一緒に撤退して新たな道を探すか、倍の家賃12万を払って継続するか、決断を迫られました。
実は当時、妻が出産を控えていたため、引くに引けない状況でした。
悩んだあげく、銀行から200万を借金して全てを引き継ぎ、
本格的にお店として経営する方向に舵を切ったのです。
ところが、かかる経費は家賃だけで済みませんでした。
水道光熱費や、消耗品費、そして、都度現金で仕入れなければいけない材料工具類が、毎月の資金繰りを圧迫しました。
借りた200万も、1年も持たずに底が見え始め、本当に焦りました。
また、同じようなタイミングで、妻が子供を出産。
当時は、子供のおむつも買ってあげられないような状態でした。
何とか、家族を養わなければならない。
この状況を打開するため、必死で経営を勉強しました。
好きだったパソコンが武器に
私には、彫金以外に、もうひとつ好きなものがあります。
それが、パソコンです。
初めてパソコンを買ったのは19歳の頃ですが、「パソコンで出来る」事の多さに感動し、
「操作すれば結果が得られる」という当たり前のような事が楽しかったのです。
インターネットが普及しはじめた時代で、私もホームページを作ったり、チラシを作ったりとパソコンの仕事が増え、
徐々に売上となって結果に現れてきました。
作る × 売る × 教える × IT
その後、ジュエリースクールとブライダルリングに特化。
ネットショップはもちろん、ITによって顧客管理や業務効率化なども行う事で順調に売上を伸ばし、
4畳半から始めた私の事業は、年商3000万円を超えるまでに成長できました。
また、好きなITをベースに、よりIT経営の知識を深めるため、44歳で「ITコーディネータ」という資格を取得するに至りました。
ITコーディネータとは、
ITと経営両方の知識を持ち、経営戦略を実現するIT化の支援を行う専門家です。
個人事業から法人化、IT経営、これまでの人生経験を活かして、
これから製作販売を始めたい個人作家や、伸び悩んでいる企業の皆様に、少しでもお役に立てれば光栄です。
日々精進してまいりますので、どうぞよろしくお願いします!
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運営会社
会社名:株式会社ケルヒ(KELLCH Co., Ltd.)
本社所在地:〒980-0021 宮城県仙台市青葉区中央二丁目1番15号
代表取締役:古澤真治
ワクワク、感動、こだわり・・・
そんな「ちょっとした幸せ」を、事業を通じて、より多くの人に提供していく事が私達のミッションです。